豊臣秀吉の国語テストのうみんの子から天下人へ

豊臣秀吉のイラスト
豊臣秀吉(とよとみ ひでよし) 1537年ごろ〜1598年
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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

日本の歴史には、たくさんの出世物語があります。その中でいちばん有名なのが、豊臣秀吉です。田んぼを耕す農民の子として生まれた少年が、なぜ日本でいちばん偉い人になれたのか。その理由は、頭の良さだけではありませんでした。

草履を温めた少年

秀吉は、尾張の国(今の愛知県)の農民の家に生まれたといわれます。名前も身分もない、ごくふつうの子どもでした。当時の日本では、生まれた家によって一生が決まるのがあたりまえ。農民の子が武士になることなど、ほとんど考えられませんでした。

若いころの秀吉は、織田信長のもとで草履取りという仕事をしていました。主人が出かけるとき、草履をそろえて差し出す係です。いちばん下の身分の仕事でした。

ある寒い冬の日のことです。信長が草履をはくと、ほんのりと温かい。信長は「お前、草履を尻に敷いていたな」と怒りました。ところが秀吉は、こう答えます。「いいえ。冷たい草履では殿がお風邪をひくと思い、ふところに入れて温めておりました」。信長は秀吉のふところを確かめ、その心づかいに感心したと伝えられます。

この話は、後の時代に作られたものかもしれません。それでも長く語りつがれてきたのは、秀吉という人が「人の気持ちを先まわりして考える人」だったからでしょう。

一夜城——たった一晩で城を建てる

秀吉が世に知られるようになったのは、アイデアの力でした。

美濃(今の岐阜県)を攻めるとき、信長は敵の目の前に城を築こうとしますが、何度やっても敵に壊されてしまいます。そこで秀吉が名乗り出ました。

秀吉は、城の材料を上流であらかじめ組み立てておき、それを川に流して現場まで運びます。そして夜のうちに一気に組み立てました。朝になって目を覚ました敵は、昨日まで何もなかった場所に城がそびえているのを見て仰天します。これが「墨俣の一夜城」として語りつがれる話です。

本当に一晩でできたかどうかは分かっていません。けれども秀吉が、力ではなく段取りと工夫で問題を解いた人だったことは確かです。

信長の後を継いで、天下人へ

一五八二年、信長が本能寺で明智光秀に討たれます。このとき秀吉は、遠く中国地方で毛利家と戦っていました。

知らせを受けた秀吉は、すぐに毛利と和睦をまとめ、驚くべき速さで軍を京都へ返します。世にいう「中国大返し」です。そして山崎の戦いで光秀を破り、信長の後継者としての立場を手に入れました。

その後、秀吉は次々と大名を従え、一五九〇年についに日本全国を統一します。農民の子が、日本でいちばん高い地位にのぼりつめた瞬間でした。

秀吉は大坂城を築き、金の茶室を作り、盛大な花見を開きました。派手好きで、人を楽しませることが好きな人でもあったのです。

豊臣秀吉の年表

1537年ごろ尾張の国(今の愛知県)の農民の家に生まれる
1554年ごろ織田信長に仕え、草履取りをつとめる
1566年ごろ墨俣の一夜城を築いたと伝えられる
1582年中国大返しののち、山崎の戦いで明智光秀を破る
1583年大坂城を築きはじめる
1590年日本全国を統一する
1598年六十二歳ごろで亡くなる

もっと知りたい 豊臣秀吉の豆知識

名前が何度も変わった

木下藤吉郎、羽柴秀吉、そして豊臣秀吉。出世するたびに名字を変えました。「羽柴」は、信長の家来の丹羽長秀と柴田勝家から一字ずつもらった名前だといわれます。

「さる」と呼ばれていた

信長は秀吉を「さる」と呼んでいたと伝えられます。体が小さく、顔がしわだらけだったからだとも、すばしこかったからだともいわれています。

戦わずに勝つのが得意だった

秀吉は、城を水攻めにしたり、周りを取り囲んで兵糧を断ったりと、なるべく人が死なない攻め方を好みました。相手を降参させて味方にするのが上手だったのです。

豊臣秀吉のテスト(小学1・2年生用)

印刷せずに、この画面のまま読んで答えることもできます。 答えはいちばん下にあります。

読みもの

むかし、尾お張わりの国くに(今いまの愛あい知ち県けん)に、まずしいのうみんの子こがいました。のちに天てん下か人びととなる、豊とよ臣とみ秀ひで吉よしです。

秀ひで吉よしは織お田だ信のぶ長ながのけらいになりました。寒さむい日ひには信のぶ長ながのぞうりをふところであたためておくなど、気きくばりとアイデアで、どんどん出しゅっ世せしていきました。だれよりも、人ひとの心こころをつかむのが上じょう手ずなぶしょうでした。

あるとき秀ひで吉よしは、たった一ひと晩ばんでお城しろをたてて、みんなをおどろかせました。これが有ゆう名めいな「一いち夜や城じょう」。あたまのよさで、戦たたかいをうまくすすめたのです。

信のぶ長なががたおれたあと、秀ひで吉よしはそのあとをつぎ、ついに日に本ほん全ぜん国こくをまとめあげ、天てん下か人びとになりました。のうみんから天てん下か人びとへ、多おおくの人ひとが、そのみごとな生いき方かたにおどろきました。

えらぶ問題

  1. 秀ひで吉よしがなしとげたことはどれですか?

    • ①日に本ほん全ぜん国こくをまとめあげた
    • ②幕ばく府ふをひらく
    • ③てっぽうをつくる
  2. 秀ひで吉よしがつかえたぶしょうはだれですか?

    • ①織お田だ信のぶ長なが
    • ②武たけ田だ信しん玄げん
    • ③今いま川がわ義よし元もと

書く問題

  1. 秀ひで吉よしは、天てん下か人びとになる前まえは何なにでしたか?

  2. 秀ひで吉よしが、一ひと晩ばんでたてたお城しろを何なにというでしょうか?

漢字の問題

かん字に直して書きましょう。

  • ⑴さかな
  • ⑵ゆみや
  • ⑶かいがら
答えを見る

えらぶ問題 ⑴①⑵①

書く問題⑴のうみん ⑵いちやじょう

漢字⑴魚 ⑵弓矢 ⑶貝がら

書く問題は、答えと言葉づかいがちがっても、 意味が合っていれば○にしてあげてください。

プリントの見本

👨‍👩‍👧 おうちの方へ

「秀吉はどうして出世できたんだと思う?」と聞いてみてください。「頭がいいから」より一歩深い、「人にやさしいから」が出てきたら大正解です。

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A4・横向き/1枚目が問題、2枚目が答えです

豊臣秀吉に会いに行く

  • 大阪城大阪市中央区

    秀吉が築いた城です。ただし今の天守は昭和に建てられたもので、秀吉のころの石垣は地下に埋まっています。地下の石垣を見学できる施設もあります。

  • 豊国神社京都市東山区

    秀吉をまつった神社です。「出世の神さま」として知られ、大きな唐門は国宝に指定されています。

  • 中村公園名古屋市中村区

    秀吉が生まれたとされる場所です。農民の子だった秀吉がここから歩き出したのだと思うと、大阪城の大きさが違って見えてきます。

※ 開館日・時間・料金は変わることがあります。おでかけの前に、 各施設の公式ページでご確認ください。

戦国時代の合戦をあつかった「戦国合戦シリーズ」(小学3・4年生用)もあります。